情熱とこだわり、呉の地酒 蔵元めぐり
掲載日:2026年11月04日
【呉の酒蔵めぐり】海と山が育む至高の一滴。呉の酒蔵が魅せる伝統と挑戦
呉の酒造りは、緑あふれる山や島の豊かな自然がもたらす清らかな恵みの水(軟水・極軟水)と、海軍の歴史や瀬戸内の恵まれた食文化とともに育まれてきました。 本特集では、200年以上の歴史を紡ぐ老舗から日本初の「貴醸酒」を生んだパイオニアまで、伝統と技を守りながら一滴の「うまさ」に挑み続ける呉の6つの酒蔵を巡り、その深いこだわりと美酒の魅力をお届けします。
「雨後の月」透明感を極める酒造り
雨上がりの夜空に冴え冴えと輝く月のような、美しい酒を。呉市仁方で150年以上続く相原酒造は、量を追う酒造りから、低温でじっくり醸す全量吟醸造りへと転換しました。野呂山の軟水、選び抜いた米、蔵人の技。そのすべてが「雨後の月」の上品な香りと透明感を生み出しています。
酒どころ仁方で刻む150年
相原酒造の創業は1875(明治8)年。かつて仁方には9軒もの酒蔵があり、最盛期には町全体で1万石を超える酒を醸したといいます。代表銘柄「雨後の月」の名は、文豪・徳富蘆花(とくとみ ろか)の随筆『自然と人生』から。「雨後の月」という名に込められたのは、澄みきった美しい酒への憧れ。その名の通り、相原酒造が追い求めるのは「上品で美しく透明感」のある酒です。
廃業寸前から始まった、蔵の大転換
現在の酒造りへの転機をつくったのが、相原準一郎会長です。23歳で蔵に入ったものの、当時の経営は厳しく「自分の代で辞めてやろう」と考えていたほど。酒造りをやめ、他社に製造を委ねる契約寸前まで進みました。それを引き戻したのが1983(昭和58)年、全国新酒鑑評会での金賞受賞。さらに東京で出会った吟醸酒のおいしさに「ぶっとんだ」。こんな酒を造りたい。その衝撃が、「雨後の月」の酒造りを大きく変えることとなりました。
18日から36日へ、全量吟醸造り
かつては大きなタンクで量を造っていましたが、生産量を約3分の1に減らしてでも、丁寧に造り、きちんと冷やす道を選択。昔は約18日だった発酵期間を今では約36日かけ、低温でじっくり醸す「低温長期発酵」を徹底しています。現在はすべての酒を吟醸造りで仕込み、目指すのは雑味を抑えた透明感と、華やかな香り、きれいなキレ。「自分たちが飲んで美味しいと思うお酒を、ベストを尽くして造る」。その信念が雨後の月らしい味わいを磨いています。
野呂山の軟水は、酒を支える財産
仕込み水は、標高839mの野呂山から届く地下水。花崗岩層を通ったやわらかな軟水を使います。準一郎会長は「水は財産」ときっぱり。護岸工事の影響で水が濁り、水道(みずみち)が変わりかけた際には、工事を止めてもらったこともあったそうです。ミネラルの少ない軟水で、低温のままじっくり発酵させることで、美しい香りを引き出していく。野呂山から仁方へ届く水もまた、「雨後の月」を形づくる大切な宝物です。
人と微生物に向き合う酒造り
「酒造りとは、微生物が働く環境をつくること」。1998(平成10)年から酒造りを担う堀本敦志杜氏は、準一郎会長が「香りのよいいい酒を造る蔵」と感じていた安芸津の堀本酒造で、10年間蔵元杜氏を務めた造り手です。後輩という縁もあり、相原酒造へ。大切にするのは、小さな変化に気づくこと。最新設備を導入する一方、酒に負荷をかけたくない工程には人の手を惜しみません。「酒造りは洗いに始まり、洗いに終わる」。徹底した清掃も、微生物が働く環境を整える大切な仕事です。
日本一に輝いた「雨後の月」
いま味わいたい一本が「雨後の月 純米大吟醸」。岡山県赤磐産の雄町を100%使用し、40%まで磨いて醸した酒です。華やかな香りと軽やかさ、豊かな旨みを持ちながら、雨後の月らしい透明感ときれいなキレも。2026(令和8)年の『SAKE COMPETITION』では純米大吟醸部門339点の頂点に輝きました。雨後の月はフルーティーで飲みやすく、繊細な魚料理とも好相性。呉のタチウオの塩焼きや鯛の刺身、タコ料理など、瀬戸内の海の幸と一緒に楽しんでみてくださいね。
名称|相原酒造株式会社
住所|広島県呉市仁方本町1-25-15
電話番号|0823-79-5008
酒蔵見学|なし
直売所|なし
試飲|なし
日本初の貴醸酒を生んだ、音戸の酒蔵
瀬戸内海に浮かぶ倉橋島、音戸町で1899(明治32)年から酒を醸す榎酒造。代表銘柄は「華鳩」。この蔵から、日本で初めての貴醸酒が生まれました。誰も造ろうとしなかった酒に挑み、売れない時代も造り続けた。その一杯には、代々受け継がれる挑戦と音戸の水、米、人の物語があります。
明治32年創業、音戸の「華鳩」
代表銘柄「華鳩」は、この地の「鳩岡」と、かつて小学1年生の国語の教科書にあった「ハナ、ハト、マメ、マス……」の一節に由来します。もとは酒造りと卸売業などを営み、最盛期には1500石を醸造。戦中・戦後に蔵を守ったのは、4代目・榎俊宏さんの祖母でした。「おじいちゃんみたいなおばあちゃんでしたよ」。その働きぶりを、俊宏さんは親しみを込めて振り返ります。
ただ一人手を挙げた、貴醸酒造り
1973(昭和48)年、国立醸造試験所(現・酒類総合研究所)で考案された「貴醸酒」。三段仕込みの最後、留添えで水の代わりに純米酒を加えるという、当時の常識を覆す酒です。全国の蔵に造り手を募ったものの、手を挙げたのは3代目・榎徹さんただ一人。普通酒が飛ぶように売れた時代に、あえて手間も費用もかかる高級酒へ挑み、1974(昭和49)年、日本で初めて貴醸酒を商品化しました。
売れない歳月が育てた、熟成の味
珍しさから最初は売れたものの、当時は「男はだまって辛口」の時代。甘口の貴醸酒は次第に売れなくなってしまいます。それでも徹さんは造ることをやめず、造っては貯蔵を繰り返しました。8年後に気づいたのが「古くなるほど旨くなる」という新たな魅力。こうして8年貯蔵が誕生します。夏でも涼しい半地下の蔵には30年熟成の酒も。「貴醸酒8年貯蔵」はIWCの古酒部門で金賞受賞を重ね、「貴醸酒10年熟成大古酒」はG7広島サミットのディナーでも提供されました。
二人で磨き続ける「華鳩」の味
4代目・俊宏さんは国税庁醸造試験所で研修を積み、1989(平成元)年に入社。2004(平成16)年に卸売業を廃止して酒造り一本へと舵を切り、翌年社長に就任しました。今も蔵人として酒造りに携わっています。ともに醸すのは宮崎県出身の杜氏・藤田忠さん。酒造りのない季節には、自ら酒米や食用米を育てています。二人が思いを共有して目指すのは、疲れたときに飲むとホッとやすらげる酒。昭和50年代以降、全国新酒鑑評会では16回の金賞に輝いています。
音戸の水と広島の米を、一滴に
広島県最大の島・倉橋島。その深い山が育む水も華鳩の味を支えます。榎酒造では、吟醸酒には山からの軟水、貴醸酒には少し硬めの井戸水と、酒に合わせて2種類の仕込み水を使い分けています。米はほとんどが広島県産で、藤田さんが育てた米を使う純米酒も。大吟醸には兵庫県特A地区・吉川の山田錦を使用します。水も米も、目指す酒に合わせて選ぶ。それが華鳩の味を支えています。
新酒から古酒まで、貴醸酒を楽しむ
とろりと濃醇な甘みと深いコクが魅力の貴醸酒。新酒にはまろやかさと爽やかな酸味があり、冷やしてオン・ザ・ロックで。熟成するとレーズンやナッツを思わせる甘く香ばしい味わいが生まれます。蔵の前に広がる瀬戸内海には牡蠣いかだが浮かび、音戸は牡蠣養殖もさかんな土地。濃厚な旨みの音戸産牡蠣と合わせるのはもちろん、アイスクリームにかけて大人のデザートとして楽しむのもおすすめ。毎年4月29日〜5月3日の「蔵開き」ではマルシェも開かれ、蔵見学や試飲もできます。音戸を訪れたなら、この蔵から始まった貴醸酒をぜひ。
名称|榎酒造株式会社
住所|広島県呉市音戸町南隠渡2-1-15
電話番号|0823-52-1234
酒蔵見学|あり ※要予約
直売所|あり(月〜金曜9:00〜19:00、土曜10:00〜18:00 日祝休)
試飲|あり
小さな蔵で磨く、三谷春の酒造り
倉橋島で200年以上の歴史を刻む林酒造。代表銘柄「三谷春」は、島の水とともに生まれ、時代に合わせて姿を変えながら受け継がれてきました。年間わずか50石。小さな蔵だからこそできる手間を惜しまない酒造りと、伝統の技、新しい技術を自在に取り入れて磨く一杯を訪ねます。
三つの谷の水から生まれた三谷春
林酒造の創業は1806(文化3)年。倉橋島の花崗岩質の土壌をくぐり、三つの谷から湧き出る水を使って酒を醸してきました。その水にちなみ、漢学者・坂井虎山が名付けたのが「三谷春」です。ラベルの文字は、頼山陽の長男・聿庵(いつあん)がほろ酔い加減で書いたもの。伸びやかな書が今も酒瓶を飾ります。明治時代には第1回全国清酒品評会で優等賞第2位を受賞。倉橋で200年以上、酒造りの歴史をつないできました。
大衆酒から35%精米の大吟醸へ
かつて年間1000石を醸した時代もあった林酒造。4代目の時代には、現在の広島市中区三川町にある林病院の駐車場で屋台村を開き、屋台や流川の飲食店へ「三谷春」を卸す、庶民に親しまれる酒でした。2009(平成21)年、医師でもある6代目・林英紀さんが蔵元を継承。当初は「必要最小限のことでいい」と考えていましたが、酵母研究に携わる人々との出会いが転機に。協力を得て、いきなり精米歩合35%の大吟醸造りに挑みました。
研究の知見を酒造りに生かす杜氏
2016(平成28)年から酒造りを担う平田英二杜氏は、県立総合技術研究所食品工業技術センターでも杜氏を務めています。10月中旬から12月末までは試験醸造酒「明魂」を醸し、1月中旬から林酒造へ。「三谷春」の大吟醸は、三浦仙三郎が考案した軟水による「三浦式醸造法」を基本に、少量・低温・長期で醸します。大切にするのは「なるべく複雑にしない」こと。複雑になるほど何が良く、何が悪かったのか見えにくくなるからと教えてくれました。
新しい技術と昔ながらの酒造り
平田杜氏は設備の配管や修繕まで自らこなすアイデアマン。杜氏と蔵人の2人で仕込むため、動きに無駄が出ないようシステムを工夫し、仕込み中の温度はスマートフォンで遠隔管理します。一方、酒を搾る工程では主流のヤブタ式から、あえて昔ながらの「ふね搾り」へ。手間はかかっても加減がしやすく、思いを酒に反映できるからです。年間約50石の小さな蔵だからできる選択。新しい技術も昔の技も、より良い酒のために取り入れます。
食卓の酒談義が酒造りを支える
酒造期には、林さん、平田杜氏、蔵人が毎日朝食と昼食をともにし、週に一度は酒を酌み交わして夕食を囲みます。そこで話すのも、やはり酒のこと。林さんは杜氏の考えを尊重し、必要な設備を整えます。そんな距離の近さも小さな蔵の強みです。呉の味覚と合わせるなら、平田杜氏のおすすめは「スパークリングの日本酒とカキフライ」。シュワッと軽快な一杯と揚げたての牡蠣は、倉橋や呉を訪れたら試してみたい組み合わせです。
酒蔵で美しい日本文化に出会う
職人が手がける美しい文化を好む林さん。和紙に金箔をあしらったラベルや瓶にも、その美意識が表れます。古い蔵を改装した「きもの博物館」では、酒蔵で貴重な着物に出会う意外な楽しみも。酒だけではない日本文化に触れられるのも、林酒造を訪ねる楽しみのひとつです。そして2026(令和8)年、安芸津産の梅を使い、平田杜氏が一人で仕込む梅酒「潤」が、IWCのフレイバー・サケ部門で最高賞を受賞。200年を超える歴史を受け継ぎながら、林酒造は今も新しい酒を生み出しています。
名称|林酒造株式会社
住所|広島県呉市倉橋町11777番
電話番号|0823-54-0310
酒蔵見学|あり ※要予約
直売所|あり(10:00〜16:00 日祝休)
試飲|あり
あの日の決意が変えた「宝剣」の酒造り
1871(明治4)年創業の宝剣酒造。21歳で杜氏を継いだ5代目・土井鉄也さんは、24歳のある日を境に、それまでの酒造りを根底から見直します。「うまい酒の頂点を目指す」。あの日の決意から約30年。昨日と今日のわずかな違いにも目を凝らし、今なお一滴の「うまい」を追い続けています。
売るも造るも、ただがむしゃらに
18歳で家業を継ぐと決めた土井さんはまず営業として入社。トラックに酒を積み、酒販店をまわる日々を送ります。転機は1997(平成9)年2月。4代目で杜氏だった父・忠明さんが倒れ、21歳で杜氏を引き継ぐことに。右も左も分からないまま蔵に入り、酒造りが終われば以前にも増して営業へ。「今振り返ると、俺の作った酒どうよ?という気持ちが強かったですね」。自ら醸した酒を、自信を持って送り出していました。
すべてを変えた24歳の決意
24歳のとき、全国の酒蔵が酒を持ち寄る会に参加します。そこで出合ったのは、名も知らない蔵が丁寧に醸した、驚くほどうまい酒。「派手でなくても、うまい酒はうまいって言われる世界がある」。衝撃を受けた土井さんは、「自分の作った酒が恥ずかしくなって、テーブルの下に隠しました」と振り返ります。悔しかったのは、自分が酒造りにきちんと向き合えていなかったこと。その日を境に酒造りをゼロから見直し、営業もやめました。
「うまい酒の頂点」を目指して
「うまいと言われる酒の頂点を目指す。日本一を目指す」。すべての時間を酒造りと研究に注ぎ、1999(平成11)年、新生「宝剣」が誕生しました。土井さんの酒造りはすべて独学。見た目、香り、手触り、舌触り、音。五感を研ぎ澄ませ、自ら積み重ねた経験がすべての基準となります。25歳では広島県酒造組合主催の唎酒選手権大会で最年少優勝。2019(令和元)年には「SAKE COMPETITION」純米酒部門で「宝剣 純米酒レトロラベル」が1位、「宝剣 純米酒 広島夢酵母」が3位に輝きました。ついに日本一になったのです。
昨日の酒造りを今日に生かす
同じ米を同じ設定で蒸しても、気温や湿度が違えば仕上がりは変わります。それは10月と1月だけでなく、昨日と今日でも同じ。設備を調整し、さらに麹づくりで微調整します。24歳までは1年単位だった見直しも、今では1日単位。「1週間で0.1のズレがあったとして、1カ月で0.4、2カ月で0.8のズレになる」。怖いのは、そのズレに気づかないこと。最後の一滴までうまくするため、小さな変化を見逃しません。
一切の妥協を許さない酒造り
蔵で大切にしているのは「手洗い・掃除・挨拶」。温度と湿度を管理する麹室は3部屋あり、麹にとって最良の環境を整えます。作業中、土井さんは何十回も手を洗います。そのタイミングは「手に汗をかく前」です。「手洗いと掃除は、どれだけやっても悪いことはない」。オールステンレスの仕込み蔵はその全体が冷蔵庫に。酒造りに適した1月の気候を再現し、送風と24時間換気で、蔵内のムラまで抑えています。
八反錦で醸すキリッとした一杯
宝剣はすべて純米酒で、広島県産八反錦を使用。自らも開発に関わった呉市郷原産の「呉未希米」八反錦を使用したものも。お土産に選ぶなら、キリッとした味わいの「超辛口」を。食中酒として幅広い料理に合わせやすく、醤油や塩、いりこ出汁、柑橘など、呉の食を支える味と一緒に楽しめます。土井さんが強く伝えるのは、徹底した保存方法。「お好きな料理と味わってください。ただ冷蔵庫での保存は絶対です」。造った酒が飲む人の喉を通過するまで、その「うまい」を守り抜きます。
名称|宝剣酒造株式会社
住所|広島県呉市仁方本町1-11-2
電話番号|0823-79-5080
酒蔵見学|なし
直売所|なし
試飲|なし
海軍と歩み、挑戦を重ねる千福の170年
1856(安政3)年創業、呉を代表する酒蔵・三宅本店。海軍御用達として全国へ名を広めた「千福」は、母と妻への感謝から名付けられた酒でもあります。戦後復興、海外展開、そしてジンやウイスキーへ。約170年の歴史を受け継ぎながら挑戦を続ける蔵を、7代目・三宅清史さんに案内してもらいました。
母と妻への感謝から生まれた千福
三宅本店の始まりは1856(安政3)年。三宅清七が味醂、焼酎、白酒の製造を始め、「河内屋」を名乗ったのが原点です。清酒醸造に踏み切ったのは1902(明治35)年。1916(大正5)年には「千福」が商標登録されました。その名は、初代三宅清兵衛の母「フク」と妻「千登」から一文字ずつ取ったもの。「内助の功を称えられるばかりで、酬いられることが少ない女性の名を、せめて酒銘に」という思いが込められています。
海を越えて海軍御用達の酒へ
千福を全国へ押し上げたのが、海軍のまち・呉という土地でした。1920(大正9)年、練習艦「浅間」に当時の酒「呉鶴」を積み、南アフリカ、南アメリカ方面へ約220日の航海へ。赤道を何度も通過しても変質・変味しなかったことが評価され、以後「千福」は全国の海軍基地へ納められ、戦艦「大和」にも届けられました。「酒工房せせらぎ」には海軍ゆかりの酒器や記念品が並び、酒を通して呉の歴史をたどれます。
変わらない千福の味を守り続ける
現在、酒造りを担う杜氏は大名さん。「千福といえばの定番酒は、味がいつも同じであることが求められます」。その日常の味を象徴する一本が、手軽に楽しめる「ふくぱっく」です。赤は旨味と甘味のバランスがよい、飲み飽きしない甘口。青はなめらかな口あたりに、旨味とやわらかな酸味が調和したやや辛口です。どちらも冷酒、常温、燗まで幅広く楽しめる懐の深さが、長く親しまれてきた定番酒の魅力です。
原点の酒米「神力」を現代に復活
守るだけでなく、歴史を現代の酒へつなぐ挑戦も。「神力」は明治から大正時代に広まり、一度は姿を消した幻の酒米で、千福の原点ともいえる米です。「神力生酛純米無濾過原酒85」は、当時に近い精米歩合85%と生酛造りで醸した一本。熟した果実のような甘酸っぱい香りに、しっかりとした酸味、旨味、甘味、渋味が複雑に絡む濃厚な味わいです。2026(令和8)年の「Kura Master」では「山田錦純米大吟醸35」とともに各部門最高位の審査員賞を受賞。濃厚な料理と相性がよく、呉のローカルフード鶏皮のみそ煮などと合わせて楽しんでみてくださいね。
7代目が挑む瀬戸内の蒸留酒造り
7代目にあたる三宅清史さんは大学卒業後、大手ビールメーカーへ。製造から流通、販売まで経験しました。「一年を通して楽しんでもらえる酒を」と、コロナ禍に蔵人とクラフトジンの研究開発を開始。日本酒蔵が蒸留酒を造る葛藤もありましたが、「伝統を守りつつ新たな挑戦を続ける」という社風が背中を押しました。現在は「SETOUCHI DISTILLERY」で、クラフトジンに加えてウイスキー造りにも取り組んでいます。
灰ヶ峰の水とともに次の時代へ
日本酒からジン、ウイスキーまで、三宅本店の酒を支えるのが呉の水です。蔵には岩盤をくり抜いた3つの井戸があり、レギュラー酒と吟醸酒で2つを使い分けています。蒸留酒には、標高737mの灰ヶ峰から地下へ浸透し、自社井戸で地下約60mから汲み上げる伏流水を使用。戦後復興を担った5代目、海外展開を進めた6代目、蒸留酒へ踏み出す7代目。時代ごとに挑戦を重ねながら、呉で次の「千福」を育てています。
名称|株式会社三宅本店
住所|広島県呉市本通7-9-10
電話番号|0823-22-1029
酒蔵見学|あり(有料) ※2日前までに完全予約制
直売所|あり(ギャラリー三宅屋商店 0823-22-3838 12:00〜16:00 土日祝休)
試飲|あり(有料)
野呂山の極軟水と兄弟が醸す「白鴻」
野呂山の麓、安浦町で1887(明治20)年から酒を醸す盛川酒造。蔵に湧く極軟水と向き合い、目指すのは料理に寄り添う酒です。家業を継ぐつもりのなかった兄弟が故郷へ戻り、世界へ届ける「白鴻」。その一杯には、この土地の水と風土、受け継ぎながら変え続ける酒造りへの思いを聞きました。
野呂山の麓で酒を醸して140年
瀬戸内海国立公園・野呂山の東麓、野呂川のほとりに立つ盛川酒造。1887年に創業し、2027(令和5)年には140周年を迎えます。現在は7代目・盛川知則さんと、実弟で杜氏の元晴さんを中心に、年間約200〜300石を醸造。1945(昭和20)年の枕崎台風では蔵や本宅など7棟が流失しました。多くを失った中でも受け継がれたのが、「汲むほどに 味も香りも 深き酒」という言葉。創業以来大切にされてきたこの言葉は、今の白鴻にも息づいています。
ハワイで芽生えた日本酒への夢
兄・知則さんは神戸の菓子メーカーに勤め、ハワイ店へ赴任。「自分は日本のことを知らない」と気づき、日本の美しい文化を海外へ伝えることが夢のひとつに。それまで家業を継ぐつもりはなかったものの、日本酒もその文化のひとつだと28歳で7代目に。当時は生産量の約9割が桶売りで、自社販売はわずか。海外への道もまだ遠く、夢をいったん胸にしまい、まずは国内で自社ブランドを育てることに力を注ぎます。
「HAKUKO」再び海を渡る
転機は2008(平成20)年。台湾のレストランとの縁から、念願の海外輸出が実現。実は盛川酒造の酒は戦前にも台湾へ輸出されていたといい、時を経て「HAKUKO」は再び海の向こうへ。現在ではフランス、韓国、メキシコなどでも楽しまれています。さらに兄弟が菓子やパンの仕事で培った経験を生かし、酒粕を使った菓子やスイーツも展開。日本酒から広がる食文化も世界へ届けています。
弟が受け継いだ杜氏と「百試千改」
弟・元晴さんもパンメーカーに勤め、家業にも日本酒にも関心はなかったといいます。しかし兄から請われ、「このままでは蔵がなくなる。残したい」と安浦へ。白牡丹でひと冬酒造りを学び、盛川酒造に入社して8年目に蔵元杜氏となりました。「お酒は風土と水がつくるもの。杜氏はその中で一番の良さを見つけ、引き出すことが仕事」。伝統に安住せず、少しずつ試して変える。その姿勢には、吟醸酒の父・三浦仙三郎が座右の銘とした「百試千改」の精神が息づきます。
極軟水が育む、食に寄り添う酒
仕込み水は地下約20mから汲み上げる野呂山系の地下水。広島でも一、二を争うほどの極軟水を、元晴さんは「体中に穏やかに染み込む水」と表現します。目指すのは、華やかすぎず、飲むほどにキレよく杯が進む「食事の名脇役」。「汲むほどに 味も香りも 深き酒」。創業以来の言葉そのままに、料理に寄り添う食中酒であり続けます。一方、「沙羅双樹」は兵庫県特A地区・吉川町の山田錦を使い、酒袋から自然に滴る雫を集めたシリアルナンバー入りの大吟醸。特別な日に選びたい、白鴻とは対照的な一本です。
春の蔵まつりで白鴻のふるさとへ
「僕が今まで造ったお酒は、一滴も残らず全部飲んでもらっている。こんな嬉しいことはありません」。元晴さんの言葉には、造ることの先にいる飲み手への思いがにじみます。蔵では直売と試飲も行い、毎年4月には「やすうら蔵まつり」を開催。試飲をはじめ、限定酒やスイーツ、安浦の特産品販売、蔵人が案内する蔵見学などが行われます。野呂山の水から生まれる白鴻を、その水が流れる安浦で味わう。春の酒蔵を訪ねる楽しみです。
名称|盛川酒造株式会社
住所|広島県呉市安浦町原畑44
電話番号|0823-84-2002
酒蔵見学|なし ※蔵まつり開催時には実施
直売所|あり(9:00〜17:00 日祝休)
試飲|あり